プログラミング的なSomething

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ITエンジニア(?)目線で生活・自転車・トレーニング話を綴ります

堀江貴文「ゼロ」から奮起した坂道練

今週はあわや練習にすら至らないのでは、と思うほどモチベーションが低かったが、日曜の午後になんとか出発。最近はそこまで気分が上がらず朝の貴重な時間を溶かしてしまっている。

反省して漕ぎだすは午後3時。すでに日も落ちかかった時間帯ではあるが追い風に助けられて折り返し地点の多摩CR@国立。川沿いのグラウンドには先週に引き続き小学生がサッカーの練習試合をしている。身長の3分の1にも届きそうなボールを相手に格闘する子どもたちは誰も一生懸命だ。

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先週も同じ場所で練習する小学生と、社会人の自分とを比較する。ボールを追う彼らは忘我の如く熱中しているのだろうか。個人的に最近は自己啓発本ブームが来ていて、丁度昨日の夜に堀江貴文の「ゼロ」を少しだけ読み返したところだった。その中の「忘我の境地に達すれば仕事も楽しみとしか捉えられない」といった内容が頭を過る。

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若者の練習風景を見てすっかり脱力しきった私。

趣味である自転車にも忘我し切れず追い風に助けられてのサイクリングでは大人がすたる。その後、練習に使っている坂を暗くなる時間を考えて2本こなす。全力と流しを1本づつ。

小学生から得た気合かわからないがタイムはかなり改善した。と言うより、過去の走行データと今回とで明確に違ったのは最大心拍数。今日は年齢のギリギリまで追い込めたが、GWに走った都民の森と比較すると、最大心拍数が−10だった。

走行データも振り返らないと意味がないな……。まったくもって宝の持ち腐れだ。今日の走りで何となくわかったが、早いとか遅いとか技術があるとかないとかではなく、自転車も単純に「できない理由」を探してサボっているだけにすぎないのかもしれない。

まさに前日に読んだ「ゼロ」の通りに事が運んでしまい悔しいが、最初からできっこないと諦めているだけだったらしい。耳が痛すぎるが走行データがそれを物語っている。

若者の忘我の姿、自分が出した全力とそのデータ、堀江貴文の自伝的自己啓発本。低くなりかけたモチベーションもこれで何となく盛り返せる気がしてきた。今年は新潟ヒルクライムに挑戦する予定なので練習あるのみ。